苔のむすまで

一介のデザイナ。ステキなかけらを集めて。

日本刀

刀剣の姿全体と、光を反射させ、地鉄(じがね)と刃文(はもん)を鑑賞する。 美術品として刀の景色を見ることが現代においての日本刀の楽しみ方。 日本刀は玉鋼という純度の高い鉄を使って作られる。

鎌倉時代の名刀正宗は、表情豊かな波打つような光の線、刃文とその外側の乱れ映りが見るものの心を 捉える。 神秘的な力を感じさせる冴えた光と粒子、強さと柔らかさを兼ね備えた清らかな美を楽しむ。しかしそれは、どこまでも使うために研ぎ澄まされた結果の美である点が本質を感じさせる。

日本刀を収める拵(こしらえ)にはその時代の最先端の装飾技術が費やされた。特に江戸時代などでは、人とは違うデザインで主張するのが流行る。特に鐔(つば)は最も多彩な装飾が施される。代表的なものでは、杢目金という鉄で木目のようなユニークな模様をあしらったものがある。明治以降途絶えた幻の技とされる。金銀銅などの色違いの板を蓄層させてつくられ、深い奥行きと表情を感じさせる。小さな鐔にそのような手間暇と創意工夫が施されたのは、 刀の圧倒的なエネルギーを収めるための、それに見合った拵えを職人たちが配慮したからに違いない。

織部焼

桃山時代の茶人古田織部が好んだことからその名がついた焼き物。

千利休の死後、その弟子であった織部が茶の湯の第一人者となった。 織部焼は様々な文様が食材の美しさと調和し、 食事に華やかさを与える器として今なお人気の焼き物である。

織部焼美濃国岐阜県)で焼かれ、その奇抜とも言えるカタチや色使いはそれまでの 日本の焼き物にはなかったものであるが、特に特徴的なその深く美しい緑色は当時の人々を魅了したと伝えられている。

桃山時代の南蛮貿易によって中国や東南アジアから様々なものが輸入されたが、 特に人々の注目を集めたのは中国南部でつくられた陶器、華南三彩であった。華南三彩の鮮やかな緑や佇まいは異国情緒があり、桃山の人々に珍重され、織部焼の深く神秘的な緑はこの華南三彩の緑へのあこがれから生まれたと言われている。華南三彩との大きな違いは釉薬がおりなす濃淡である。当時の中国ではその色ムラは失敗とみなされていたが、日本人はその濃淡を美しいと感じ、積極的に表現として取り入れた。釉薬の生み出す緑の流れを「けしき」と呼び、当時の日本人はそこに、海や山の深さを想像したのである。

美し緑色を生み出す秘密は釉薬にあるのだが、その成分は緑を生み出す酸化銅釉薬を定着する木の灰である。 灰(木)の種類よって緑の色気が様々に変わり、高温で釉薬がとけることで生み出される。 当時の職人は様々な木の灰を使うことで、多彩な表情を試みた。職人が望むように緑を発色させるのは至難の技であり、焼けて窯から出てきたものを楽しむものである。焼くたびに異なる豊かな表情は、美濃の山々の色のようであり、時の流れを感じさせる。自然に多くの部分を任せ、風情を楽しむ焼き物である。

さらに織部焼ならではの特徴は、やはりその独特のカタチである。神官が履く靴を連想させることから靴茶碗ともいわれる。織部焼は当時の言葉でひょうきんを意味する「へうげもの」と評された。

わびの精神がそのまま表現されたような、装飾をそぎ落とした利休好みの焼き物とは好対照をなす、織部好みのひづんだカタチ。今にも動き出しそうな躍動感ある造形は従来の美意識を覆し、あらたな美を創出したのである。そこには、新しい価値観が次々と創出された桃山時代の影響が大きい。奇抜な格好や振る舞いをするかぶき者が流行したが、織部はそういった時代の精神を取り入れていったのである。へうげはアンバランスの美でありながら、 そこには美術品としてのぎりぎりの品の良さを不思議と醸し出している。織部焼は自由闊達な精神と遊び心を体現した型破りな器なのである。

また、織部で見逃せないのは千変万化の多彩な文様である。かの北大路魯山人は「織部の絵は その意匠 千変万化して 実に立派な意匠である」と高く評価した。軽妙洒脱で勢いを感じさせるその模様は焼き物の技術革新によって可能になったものである。斜面にそってつくられた登り窯により、下から上に熱が伝わることで少ない燃料で たくさんの焼き物を生産できるようになり、一度に数千の器を焼くことができた言われている。器が大量につくられると、その分たくさんの模様がつくられ、京の都で人気を博した。さらに、ろくろに頼らない型を用いた製法が確立され、変化に飛んだ器を量産できるようになり、 カタチに応じて絵も描き分けられ、自由闊達な筆さばきが発達したのである。

江戸指し物

江戸指し物とは、釘を使わずに木を差しこんで作る家具や調度品のこと。

指し物は平安時代から作られてきたと言われているが、元禄のころより、武士や町人などの江戸っ子の美意識が作りだした様式をもつものを江戸指し物という。その特徴は、華奢ですっきりとした仕上がりを良しとし、 一見外から見えないところにも手間暇をかけ、緻密に作られている。

指し物の最大の特徴は仕口(しくち)という木の接合方法にある。 「ほぞ」と「ほぞ穴」を巧妙に組み合わせることで、 釘を使わずに堅牢な構造を作り出すことができる。 そしてこの精緻な「ほぞ」はあえて見えないように、 すべてが隠れるように設計されるところに指し物の真髄がある。 敢えてちゃんと隠す。それこそが江戸っ子気質であり、粋な表現なのである。 ちょっとやそっと外から見たんじゃわからない。 そういう秘められた心意気が職人のもつ美学だ。

江戸指し物に使われる木材には、タモやケヤキ、キハダなどがあるが 中でも「島桑」が最高級とされている。 その理由はいくつかあるのだが、1つにはその木目の美しさがあげられる。 その木肌はしっとりと心地よく、 光のあたり具合によって、ゆらめくかげろうのような陰影があらわれ、人の目を魅了する。 年月が経つことで、木色が渋いくろみをおび、味わい深くなる。 アンティークとしてもとても長く楽しむことができるのである。 島桑はしっかりと木目がつまって硬い。 鉋で削り、仕上げにムクの葉で磨くと驚くほどの光沢があらわれる。

もう一つの魅力としては、加工のしやすさがある。 加工がしやすいというのは、粘り気があって欠けにくく、 非常に薄い仕事や緻密な仕事に耐えられるということである。 そのため高価な島桑を使うからには、最高峰の技芸を施すことが求められ 熟練の業が必要になるのである。

江戸指し物のなかでも「飾り棚」は特にその技術が集約されている。 飾り棚は美術品などを飾るものであるが、 その美の定義は、薄く細く華奢で堅牢な佇まいである。 その佇まいを実現させるために 柱は微妙なアールで面取りすることで、視覚的に細く見えるように調整され、 人間の目の錯覚を考慮して、天板もハガキ一枚分の厚さ中央をやや高く加工する。 天板の面がまっ平だと、上から見ると少し下がって見えてしまうためだ。

男の和装

着物の柄は桃山時代までは男女の区別なく、クジャクの様に華やかさを競っていた。
アバンギャルドな柄の着物はとても色気があり、日本男児独特の文化を象徴するものである。
江戸時代に発せられた贅沢を禁止する奢侈禁止令という逆行に対しては、
一見地味に見えながらも江戸小紋などの粋なお洒落を探求してくことになる。
男の着物は感性や所作がすべてあらわれる、最高の男磨きとなる。
TPOにあわせれば着物は自由。
羽織はジャケットのようなもの。カジュアルな着流し。羽織と袴はフォーマルな場で。

着姿は帯を締める位置で決まるといってよい。
格好の良い着姿は上半身がゆったりと、下半身はすっと締まっている。
帯の基本は角帯。博多織、西陣織が代表格である。
帯選びにルールは無いが、着物との素材感を少しずらすくらいが粋である。
帯の締め方は腹の下から腰骨にしっかりと当てて後ろ上がりに締める「前下がり後ろ上がり」が基本。
こうすることで、上半身は恰幅の良さが強調され、下半身はすっきりとシャープに見える。
着物は着こなしによってその人の個性が引き出され、強調されるもの。

「裏勝り」こそ粋の美学。
たびたび発せられた奢侈禁止令により、
どうにかお洒落を楽しもうとオモテの派手な模様を羽裏に隠すようになったことが起源とされる。
不思議なもので、羽裏の柄はその人の教養や審美眼など、見てしまった人に色々と想像させるものであり、
脱いだ時など、さりげないシーンでの自己表現として、とても日本的なコミュニケーションだと感じる。
また、自分だけがステキなものを隠し持っているという男性的な美学にも通じる。
当然自分から見せたのでは野暮だが、それでもどこか人に見せたいというギリギリの心境が男心を魅惑する。
見えないところによろこびを秘める。秘めるからこそ花である。

織が生み出す立ち姿の美。
袴は礼装にかかせないものであるが、とにかく立ち姿が格好良い。
足下からすっと背中に伸びる美しい背筋を生み出すのが袴の魅力である。
生地の織の技にその美しさの秘密があり、極細のたて糸がち密さをつくる。
そしてよこ糸はよりがかけられており、皺をつくりにくくしている。

お洒落にはメインの着物自体よりも、
その着こなし方をどう自分らしく楽しむかが大切である。

苔の魅力

ほどよく手入れされた庭に生す苔は、紅葉や青葉などを引き立てる名わき役。
苔の種類は世界で2万種ほどあり、日本には1600種以上あるため、微細なテクスチャ感の違いは情報量の多さを物語っており、我々の目を楽しませてくれる。日本の代表的な品種では、スギゴケやスナゴケ、ホソバオキナゴケなどが有名。

日本人は苔に神秘性を感じ取ることができる少ない人種ではないだろうか。 苔は日本人にとっては、侘び寂びや幽玄の世界など禅的な日本を表現する代表的な植物と言える。
庭一面を柔らかく包み込んだ苔のある風景は、まさに幽玄の世界。
夢窓疎石が禅の修行の場として開いた西芳寺にある一面に広がった苔には、世俗から離れた静寂の世界を感じることができる。

また、水を使わずに自然の風景を表現した枯山水にも苔は重要な役割を担っている。
日本の代表的な作庭家には重森 三玲がいる。
枯山水の砂は大海原を、岩組みは険しい山々を、そして苔は命の宿る森を表現している。
命の宿る森とは人間や動物の立ち入ることができる場所で、その営みを表現しているそうだ。
ここでも苔は砂や石を非常に良く引き立てる、縁の下の力持ちとしての役割が大きい。
緑と茶の色のむら、不揃いな長さが自然の趣をつくりだし、
表面のうねりと相まって、自然の山に最も近い風景を出すことができると考えられている。

その他に苔が重宝される場としては盆栽ははずせない。
静かに長く育ってきたような豊かな時間の流れを感じさせ、見る者に懐かしさをそっと感じさせてくれる。
盆栽の上の味気ない大地に、苔が生すことで、風情や古さ、品格、神々しさまで感じさせる。